自分が見えている人、見えてない人

自分がどういう人間か見えている人は、謙虚で誠実になっていきます。

正しい目線で自分を眺め、やはりそれと同じように回りや社会を見る事ができます。

いわゆる大人(たいじん)と言える人です。

大人とは、徳が高い人、度量の大きい人、人格者を言います。

ただの大人(おとな)とは、違うわけです。

多くの人は、自分の本質も他者から見えている自分の姿も見えません。

もしくは、見ようとしません。

自己中心的で、頑迷な精神へとなっていきます。

そして、特に自分に甘く、他人に厳しくなっていきます。

いわゆるこれを、小人(しょうじん)と言います。

小人とは、器量の狭い人や、人徳のない人のことです。

人との付き合う時、なるだけ大人(たいじん)とのみ交わるようにしましょう。

物事が見えている人は考え方の視野も広がり、まわりにいる人も心安らいでいきます。

いろんな経験をし、目ざとく生きてきた人は一見見識が広いように見えますが、一緒にいて気疲れしてしまう人がいます。

知識や経験が、自分を見る目を曇らせているのです。有識者や知識人と言われる人でも大人と小人がいます。

知識や経験が、自分を見つめる経験にならない場合があるということです。

自分を正しく見ている人は、執着心を捨てた度合いにより決まります。

執着心の強弱により心の目の開閉度が変わってくるのです。

執着心は、また心の重さにもつながります。

執着心の強い人は、重苦しい面倒な人です。

執着心の低い人は、心軽やかな人です。

執着心という鎧を捨て、心軽やかに生きたいものです。

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