高橋留美子 人魚シリーズを読んで

高橋留美子氏の人魚シリーズを読んで、悲しく寂しいというイメージが湧きました。

この悲しくて寂しいと言うイメージは、私の幼少期の漠然とした思いと重なります。

私の幼少期の、心象として悲しい・さみしいというものがイメージされるのですが、寂しいとか悲しいという記憶はまったくありません。

両親と暮らしていましたしちゃんと幼稚園にも小学校にも普通に通っています。

ただ一つだけある心当たりは、父が2年ほど結核でサナトリウムに入院していたことが考えられます。

その当時のことは、あまりに幼くほとんど記憶にな、く夢と記憶がごっちゃになっています。

私が、成長したのち両親はこの時代のことを思い出としても話すことなく、私の記憶からも消えてしまってます。

人魚シリーズを読み、自分の心の思いを感じ振り返ってみると、自分の心の不思議に気が付きました。

推測するに、父のサナトリウム時代は両親にとり思い出したくない過去ではないかという疑惑。

両親はもはや他界しており確かめるすべもありませんが、特に母の悲しみと寂しさが幼い私の心に深く伝心したのではないかと想像しています。

一般的に、母親が不安になると子供に伝心し泣いたり落ち着かなくなると言います。

父は退院後もしばらくは元の職場に戻れず、つらい日々を送ったようです。

私の記憶に父が出てくるのは小学校4年くらいからで、それまではぽつんぽつんとしか出てきていません。

それほど複雑な家庭環境だったとは思いませんが、父の不在などによる母の不安と悲しみが私に大きく流れ込んだような気がします。

人の心の形成は、表面の事象だけでなく親密な人たちとの内面的繫がりや影響により、多層的に形成されていくのでしょうね!

高橋留美子氏の作品には、人の深層までとどく優しいく調べのようなものを感じます。

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