今なぜ終活なのか

今家の余分なものを、廃棄しています。人は余分な物が家にあると、何となく落ち着きません。それは余分な物は、邪気を発する事から人は反応してしまうのです。物も使われ感謝されると、良い気を出し活力源となります。それに対し邪気は、そこで生活する人の活力を奪っていきます。風水で幸運をつかもうと言う考えは、間違えです。風水は、気の好循環を作る東洋的科学体系です。風水により気の循環が良くなり、体調や精神的な高揚感が、幸運になったと勘違いしているのです。余分な物があっても気になら無い人も多くいると思います。そういう方は、気の感性が鈍くなり、さらに我欲により感じなくなっているだけです。心の深いところで、ダメージを受けています。余分な解説はこのくらいにして、今私は父の遺品を中心に廃棄しています。人間90年近く生きると結構な量の物が、残っています。特に多いのが、本と手紙です。本は、ざっと見て1000冊以上あると思われます。中には、発行年月日が昭和20年代の物があります。貴重かもしれません。古本屋に売ればという話もありますが、何十年も倉庫に埋もれ、父のサインと印鑑が押してあるので、古紙に出しています。リサイクルという観点から考えるとじっくり行けば良いのでしょうが、面倒な事をして時間をかけてしまうと今やろうとしている気持ちが消えてしまいます。年内に自分の物と、両親の物は方をつけようと思っています。期限を設定してやら無いと物事は、進みません。終活も期限を定め進めていかないと、余分な物はどんどん増えていきます。今最大の課題は、写真です。デジタル化するのか、それとも現物で選りすぐって残すのか?悩みどころです。今のところ、選りすぐって現物で残そうかと思っています。少ない懐かしい物が、心に染み入ってくると思えます。なんでも不用品を捨てるのではありません、心の糧となる懐かしい物は残すべきです。さ~年内着地に向けて頑張るぞ!/font>

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