うちのカミさんは12年くらい前懸賞応募にハマっていた時があります。
その時良く、「懸賞当てるために掃除しなくちゃ」と言い多少掃除していました。
実際テレビやデジカメなど結構当てていました。
懸賞を当てたことのない私には、驚異の出来事です。
カミさんのお母さんもこれまた、良く懸賞に当たっていたようです。
結婚した当時、ラーメンのマルちゃんのマークの付いた鍋とか懸賞で当たった物をいくつか実家から持参してました。
最近は掃除をする気力が無いようで、懸賞に応募してないのか当たらないのかわかりませんが、当選品はほとんど見た事がありません。
現在カミさんの使っている部屋は、とても汚れています。
でもこれをうっかり言うと、とても怒るので言えないんですよね。
以前懸賞に燃えていた時代に、戻ってほしいものです。
今私は、「禅、ていねいな生き方: 手は抜かず、力を抜いて暮らす習慣 (知的生きかた文庫)」という本を読んでいます。
禅の修行と言えば、座禅と我々素人は考えてしまいます。
しかし、禅の言葉に「動中の工夫は静中の工夫にまさること数百万倍」というものがあるそうです。
座禅に精進するより、掃除に精進する方がはるかに優っているという意味のようです。
若い禅僧は、座禅より廟堂の掃除の方が重要な修行となります。
「掃除は自分の心を掃き清めることに通じる」と言うことのようです。
風水の本などでも、自分の部屋の有り様が自分の心の中を表しているといいます。
部屋が心お表すのであれば、その部屋が埃で汚れていたり乱れているという事は、心も汚れ錯乱しているということです。
心が乱れ落ち着かない時は、まず自分の部屋を掃除する事です。
私は最近では、時間が取れませんが気がついたホコリやゴミはなるだけ気が付いた時に取るようにしています。
最近自分の変化として、あまり怒らなくなりイライラしなくなったような気がします。
まだまだ至らない点ばかりですが、還暦直前になり少し落ち着いてきたような気がします。
細かい所の掃除、修行と思い続けていこうと思っています。
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